管理職・人事必見 事業承継・M&A時の年次有給休暇の取扱いと法的留意点
事業承継・M&A時の年次有給休暇の取扱いと法的留意点
事業承継やM&A(企業の合併・買収)は、企業の存続・発展のために重要な経営判断ですが、人事労務管理においては様々な課題が生じます。特に、従業員の年次有給休暇(以下、有給休暇)の取り扱いは、法的な正確性が求められ、適切な対応を怠ると後のトラブルに発展する可能性があります。
管理職や人事労務担当者として、こうした場面に遭遇した際に、混乱なく、かつ法に則った形で有給休暇を管理・処理するためには、事前の知識と準備が不可欠です。本稿では、事業承継・M&Aの種類に応じた有給休暇の法的取り扱いと、実務における留意点について解説します。
事業承継・M&Aと労働契約の承継
有給休暇は、労働基準法によって労働者に与えられる権利であり、労働契約に基づいて発生します。したがって、事業承継やM&Aに伴い、労働契約がどのように引き継がれるかによって、有給休暇の取り扱いも変わってきます。
主要なM&Aの手法には、合併、会社分割、事業譲渡などがあります。これらの手法ごとに、労働契約の承継に関する法的な枠組みが異なります。
M&A手法別の有給休暇の取り扱い
1. 合併の場合
合併は、複数の会社が一つの会社になる組織再編行為です。存続会社または新設会社が、消滅会社の権利義務を包括的に承継します。これには、従業員との労働契約も含まれます。
- 有給休暇の承継: 原則として、消滅会社の従業員の労働契約は存続会社または新設会社に包括的に承継されます。これに伴い、消滅会社で付与されていた有給休暇の権利(付与日数、残日数、勤続年数による付与要件など)も、承継後の会社にそのまま引き継がれます。
- 留意点: 合併前の勤続年数は、承継後の会社での有給休暇付与日数を計算する上で通算されます。従業員は合併を理由として、付与済みの有給休暇の権利を失うことはありません。
2. 会社分割の場合
会社分割は、会社がその事業に関する権利義務の全部または一部を、他の会社に承継させる組織再編行為です。会社分割には、会社分割計画または分割契約によって承継される従業員が定められます。
- 有給休暇の承継: 会社分割に伴う労働契約の承継については、「会社分割に伴う労働契約の承継等に関する法律」(労働契約承継法)に定めがあります。原則として、分割計画または分割契約で定められた承継対象事業に従事する従業員の労働契約は、承継会社に引き継がれます。この労働契約の承継には、有給休暇に関する権利も含まれます。分割前に付与されていた有給休暇は、承継後の会社でそのまま有効となります。
- 留意点: 労働契約承継法には、承継対象事業に従事する労働者が、労働契約の承継から除外されることについて異議を述べることができる「異議申出権」や、承継事業に従事しない労働者が承継会社に引き継がれることについて異議を述べる「協議申出権」に関する規定があります。これらの手続きの中で、有給休暇に関する取り扱いについても従業員に丁寧に説明し、誤解が生じないようにする必要があります。
3. 事業譲渡の場合
事業譲渡は、会社が事業の全部または一部を、個別の契約によって他の会社に譲渡する取引です。合併や会社分割のような組織再編とは異なり、事業譲渡によって会社の権利義務が包括的に承継されるわけではありません。従業員との労働契約も、個別に譲受会社との間で合意(労働契約の再締結)が必要です。
- 有給休暇の取扱い: 事業譲渡の場合、譲渡元の会社と従業員との労働契約は、原則として譲渡の時点で終了します(ただし、譲渡元の会社に引き続き雇用される場合を除く)。そして、譲受会社と従業員との間で新たに労働契約が締結されます。 このため、譲渡元の会社で発生していた有給休暇の権利は、原則として譲受会社に引き継がれるわけではありません。譲渡元の会社は、労働契約の終了にあたり、未消化の有給休暇について法的な精算義務を負う可能性があります。実務上は、退職と同様の扱いで未消化分について賃金を支払う「買い上げ」が行われるケースがありますが、これは労働基準法の原則に反する行為であり、あくまで例外的な措置であることを理解しておく必要があります(労働基準法第39条において、有給休暇は原則として取得させるべきものであり、買い上げは義務付けられていません。例外として、法定日数を超えて付与された分や、退職時に残存している有給休暇について買い上げが認められる解釈があります)。 譲受会社における有給休暇の付与は、新たな労働契約に基づき、入社日から勤続年数を計算して行われます。ただし、労使間の合意により、譲渡元での勤続期間を考慮して有給休暇を付与することも可能です。
- 留意点: 事業譲渡における有給休暇の取り扱いは、従業員にとって最も影響が大きく、トラブルになりやすい点です。譲渡元・譲受会社双方の管理職・人事担当者は、従業員に対して、有給休暇がどのように処理されるのか、譲受会社での新たな有給休暇の付与はどのように行われるのかについて、正確かつ丁寧に説明する必要があります。未消化分の精算方法についても、法的なリスクを踏まえつつ、従業員の理解と納得を得られるよう努めることが重要です。
管理職・人事担当者が取るべき実務対応
事業承継・M&Aの形態に関わらず、管理職・人事担当者として取るべき具体的な対応は多岐にわたります。
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有給休暇情報の正確な把握: 承継対象となる従業員一人ひとりの有給休暇の付与日、基準日、残日数、消滅時効の期日などを正確に把握します。労働時間や出勤率など、有給休暇の付与要件に関わる情報も確認が必要です。特に事業譲渡の場合は、譲渡元での最終的な有給休暇残日数の確認が重要です。
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従業員への丁寧な説明: 有給休暇の取り扱いについて、従業員に正確な情報を伝えることは最も重要です。承継の形態によって取り扱いが異なること、既存の有給休暇がどうなるのか、承継後の会社での付与はどうなるのかなどを、個別に、または全体説明会などで丁寧に行います。誤解や不安を取り除くことが、従業員のエンゲージメント維持にもつながります。
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労使間協議: 会社分割における労働契約承継法の異議申出・協議申出に関する手続きはもちろんのこと、それ以外のM&Aにおいても、労働組合がある場合は組合との協議が必要です。労働組合がない場合でも、従業員代表との間で、有給休暇を含む労働条件の変更や取り扱いについて十分に協議し、合意形成を図ることが望ましいです。
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就業規則等の変更・整備: M&Aに伴い、承継後の会社の就業規則が適用されることになります。有給休暇に関する規定(付与基準、計算方法、時季指定ルールなど)が変更になる場合は、従業員に周知し、必要に応じて労働基準監督署への届出を行います。就業規則の変更が従業員にとって不利益となる場合は、合理的な理由と従業員の同意または個別同意を得るための丁寧な説明が必要です。
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システム・管理体制の移行: 承継元の有給休暇管理システムから承継先のシステムへのデータ移行、管理方法の統一を行います。従業員が付与日数や残日数を正確に把握できる仕組みを整えることが、トラブル防止につながります。
法的リスクとトラブル回避
事業承継・M&A時の有給休暇対応で最も懸念されるのは、法的なリスクです。
- 未消化分の買い上げ義務違反(事業譲渡等): 事業譲渡などで労働契約が終了する場合、残存有給休暇を原則として取得させなかったり、買い上げを行わなかったりした場合、賃金の未払いとみなされる可能性があります。労働基準法違反のリスクを伴います。
- 付与日数計算の誤り: 勤続年数の通算漏れや、事業譲渡後の新たな付与基準日の設定ミスなどにより、従業員に本来付与されるべき日数よりも少なく付与してしまうリスクがあります。
- 従業員への説明不足: 従業員が自身の有給休暇の権利について誤解したまま承継を迎え、後になって不満やトラブルが生じるケースがあります。
これらのリスクを回避するためには、法的な専門家(弁護士、社会保険労務士など)と連携し、正確な手続きと対応を行うことが不可欠です。また、従業員とのコミュニケーションを密にし、透明性の高い情報提供を心がけることが、信頼関係の維持とトラブル予防につながります。
まとめ
事業承継やM&Aは、企業の成長戦略の一環として行われますが、その過程で従業員の年次有給休暇という重要な労働条件の取り扱いが課題となります。管理職・人事労務担当者は、合併、会社分割、事業譲渡といったM&Aの手法ごとに異なる有給休暇の法的承継ルールを正確に理解しておく必要があります。
特に事業譲渡においては、労働契約が個別に再締結される性質上、譲渡元の有給休暇が原則として承継されないこと、未消化分の処理を適切に行う必要があることに留意が必要です。いずれの形態においても、従業員への丁寧な説明と、法的な専門家との連携による正確な実務対応が、円滑な移行と将来的なトラブル回避のために極めて重要となります。本稿で示した点を参考に、貴社の事業承継・M&Aを成功に導く一助となれば幸いです。