フル有給攻略ガイド

【管理職・人事担当者向け】年次有給休暇の時効完成猶予・更新 正しい理解と運用

Tags: 有給休暇, 時効, 法改正, 管理実務, コンプライアンス

はじめに

企業の管理職や人事労務担当者の皆様におかれましては、年次有給休暇(以下、有給休暇)の適切な管理は、従業員のウェルビーイング向上だけでなく、コンプライアンス遵守の観点からも極めて重要な業務であると認識されていることと存じます。特に、有給休暇の「消滅時効」については、未消化問題や労使間の認識のずれからトラブルに発展するリスクをはらんでいます。

2020年4月1日に施行された改正民法により、債権の消滅時効に関するルールが大きく変更されました。これは、有給休暇の請求権という債権にも影響を及ぼす可能性があり、管理職・人事担当者としては、最新の法知識に基づいた正確な理解が不可欠です。

本記事では、有給休暇の消滅時効に関する労働基準法の原則を確認した上で、改正民法における「時効の完成猶予」と「時効の更新」の考え方を解説します。そして、これらのルールが有給休暇の管理実務にどのように関わる可能性があるのか、管理職・人事担当者が知っておくべき実務上の留意点について掘り下げてまいります。

年次有給休暇の消滅時効の基本

年次有給休暇を請求する権利は、労働基準法第115条により「これを行使することができる時から二年」で時効によって消滅すると定められています。

時効の起算日

有給休暇の時効は、権利を行使できるようになった日、すなわち有給休暇が付与された日から進行を開始します。例えば、毎年4月1日に有給休暇が付与される企業であれば、その年の4月1日に付与された有給休暇の請求権は、2年後の3月31日をもって時効により消滅することになります。

労働基準法における原則

労働基準法は、有給休暇の消滅時効を2年と定めており、民法の原則的な債権の時効(原則5年または10年)よりも短く設定されています。これは、労働者の有給休暇取得を促進し、権利関係を早期に安定させるという趣旨に基づいています。

この2年の時効期間を経過した有給休暇の請求権は、原則として消滅し、労働者はその権利を行使できなくなります。

改正民法における時効制度の変更点

2020年4月1日に施行された改正民法では、時効の「中断」という概念が廃止され、「完成猶予」と「更新」という新しい概念に整理されました。

時効の完成猶予とは

時効の完成猶予とは、特定の事由(裁判上の請求、支払督促、和解・調停の申立て、倒産手続への参加、差押え・仮差押え・仮処分、催告など)が発生した場合に、その事由が終了するまでの一定期間、時効の完成が猶予される(時効が完成しない)という制度です。猶予される期間は事由によって異なりますが、例えば「催告」の場合は、催告から6ヶ月間は時効の完成が猶予されます(民法第150条)。

時効の更新とは

時効の更新とは、時効の完成猶予の事由が終了した後に、確定判決を得るなどして権利が確定した場合や、債務の承認があった場合などに、それまで進行していた時効期間がリセットされ、新たにゼロから時効期間が進行を開始するという制度です(民法第152条など)。

年次有給休暇における時効の完成猶予・更新の実務上の考察

改正民法による時効の完成猶予・更新のルールは、有給休暇の請求権にも理論上は適用され得ます。しかし、有給休暇の性質上、一般的な金銭債権などとは異なる点があり、実務上の影響には留意が必要です。

労働者の「催告」と完成猶予

労働者が使用者に対して有給休暇の取得を請求することは、民法上の「催告」に該当する可能性が考えられます。もしこれが民法上の催告と解釈される場合、労働者が有給休暇の時効期間が満了間近の有給休暇について、使用者に対して明確な形で取得請求(催告)を行えば、その時点から6ヶ月間は当該有給休暇の時効完成が猶予されるという解釈も理論上は成り立ち得ます。

しかし、労働基準法において、労働者の有給休暇取得請求に対して使用者は「時季変更権」を行使できること、また、有給休暇は特定の労働日の労働義務を免除する権利であるという性質を踏まえると、単なる「取得したい」という意向の表明や、時季変更権の行使により取得時季が変更されるケースなど、具体的な労働日を指定しない請求や、その時季での取得が確定しない請求をもって直ちに民法上の「催告」と同等に扱うべきかについては慎重な判断が必要です。多くの場合は、労働者による有給休暇の請求は、労働基準法第39条に基づく時季指定権の行使として処理され、これが直ちに民法上の時効の完成猶予事由となるわけではないと解釈される可能性が高いと考えられます。

重要なのは、労働者が具体的な時季を指定して有給休暇を請求した場合、使用者が時季変更権を行使しない限り、その時季に有給休暇を取得させる義務が使用者には生じるという労働基準法の基本的な枠組みです。時効の完成猶予・更新の議論は、あくまで労働基準法の枠組みを超えた、時効期間満了間際の権利行使の有無に関わる部分での法的可能性として捉えるべきでしょう。

時効の更新の可能性

理論的には、労働者が有給休暇の請求権を巡って裁判を起こし、その請求が確定判決によって認められたような場合は、民法上の「時効の更新」事由に該当し、判決確定の日から新たに2年間の時効期間が進行を開始すると解釈される可能性は否定できません。また、使用者が労働者の未消化有給休暇について、時効期間満了後であってもその存在を認め、労働者に取得を奨励するなど、債務(有給休暇を付与・取得させる義務)を「承認」したと見なされるような行為があった場合にも、時効が更新される可能性が理論上は考えられます。

しかし、実際の有給休暇管理実務においては、このような時効の完成猶予や更新が問題となるケースは限定的であると言えます。多くの場合、時効期間(2年)内に労働者が有給休暇を取得するか、あるいは消滅時効を迎えるかのいずれかです。時効の完成猶予や更新が実務上の論点となるのは、労使間で未消化有給休暇の取り扱いや請求権の有無について深刻な争いが生じた場合などに限られるでしょう。

管理職・人事担当者が知るべき実務上の留意点

改正民法における時効の完成猶予・更新のルールは複雑であり、有給休暇への直接的な適用範囲も限定的であると考えられます。しかし、管理職・人事担当者としては、これらの法改正の存在を理解し、万が一の労使トラブルに備えるとともに、より根本的な有給休暇管理の重要性を再認識することが求められます。

1. 正確な有給休暇管理簿の作成と管理

労働基準法第39条第7項により、使用者は労働者ごとに年次有給休暇管理簿を作成し、これを3年間保存する義務があります。この管理簿には、付与日数、取得時季、取得日数を正確に記載する必要があります。時効による消滅日を従業員ごとに把握し、管理簿に記録しておくことが、未消化有給休暇の適切な管理の基本となります。時効の起算日(付与日)を明確にしておくことが、時効期間を正確に計算する上で不可欠です。

2. 時効消滅前の取得促進の徹底

最も効果的なトラブル回避策は、有給休暇が時効消滅する前に従業員に確実に取得してもらうことです。年5日の時季指定義務への対応はもちろん、計画的付与制度の導入検討や、管理職による積極的な声かけ、取得しやすい職場環境の整備など、様々な施策を通じて、従業員がためらわず有給休暇を取得できるよう働きかけることが重要です。時効の完成猶予や更新といった複雑な法的議論を持ち出す必要のない状態を目指すべきです。

3. 従業員からの質問への誠実かつ正確な対応

従業員から自身の有給休暇の残日数や時効に関する質問を受けた際は、有給休暇管理簿に基づき、正確な情報を提供してください。時効期間が近づいている有給休暇がある場合は、その旨を伝え、取得を促すことが望ましい対応です。消滅時効が既に成立している場合であっても、その事実と根拠(労働基準法第115条)を丁寧に説明し、今後の有給休暇の計画的な取得を奨励することが重要です。

4. 消滅時効の「援用」に関する理解

時効によって権利が消滅するためには、時効によって利益を受ける者(使用者)が時効の「援用」を行う必要があると解釈される場合があります(民法第145条)。しかし、有給休暇の消滅時効については、労働基準法上の規定であることから、民法の援用を要しないとする考え方もあります。判例や学説でも見解が分かれている部分ですが、実務上は、時効期間が経過した有給休暇については、原則として労働者の請求権は消滅しているものとして対応することが一般的です。ただし、企業の労使関係や慣行によっては、時効が成立した有給休暇についても一定の配慮を行うケースがあり得ますが、これは法的な義務ではありません。

まとめ

年次有給休暇の消滅時効は労働基準法により2年と定められており、その起算日は付与日です。2020年4月1日施行の改正民法による時効の完成猶予・更新のルールは、理論上は有給休暇の請求権にも適用され得ますが、その性質から一般的な金銭債権とは異なり、実務上の論点となるケースは限定的であると考えられます。

管理職・人事担当者としては、複雑な時効の完成猶予・更新の議論に深入りするよりも、以下の点を徹底することが、有給休暇管理におけるリスク回避とコンプライアンス遵守の鍵となります。

適切な有給休暇管理は、法的なリスクを回避するだけでなく、従業員の心身の健康維持、ワークライフバランスの実現、そして結果として生産性の向上にも繋がります。「フル有給攻略ガイド」として、法改正の動向を正確に理解しつつ、従業員が安心して有給休暇を取得できる職場環境を整備していくことが、管理職・人事担当者の重要な役割であると言えるでしょう。